木床義歯について

我が国独自の木床義歯は、いつ頃から作り始められたかは、未だに明らかにされていない。12 世紀頃、木佛師の手なぐさみから生まれ、これを専業とするようになったのは室町時代からと考えられる。

と云うのは、現、和歌山市の願成寺の草創者、佛姫が使用していたいう上顎の総入歯が同寺の寺宝として保存されていて、佛姫が没したのは天文 7 年 (1538 年) で、更にそれより 100 年後の延宝 3 年 (1675 年) に 63 歳で没した柳生飛騨守宗冬が使用していた黄楊 (つげ) の上下総義歯が昭和 2 年に東京下谷の廣徳寺の墓所より発見され、ほとんど同時の延宝元年 (1873 年) に 60 歳で大阪に没した羽間弥次兵衛の黄楊床の下顎総入歯が有名である。

これらの日本製の義歯は、外国では、絶対不可能といわれていた床のみで吸着させる義歯の維持方法であった。

フランス人のピエール・フォシャール (1761 年没) がはじめて上顎の総入歯を作ったが、床のみで吸着させる維持方法ではなく、下顎の入歯とスプリングでつながった上顎の入歯を保持したもので、更に数十年後に、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンもこれと同じ上下をスプリングで連結した総義歯を 4 個も作っていたといわれる。

なお、その材質は強靭で肌触りの良いことから、黄楊 (つげ) が多く用いられ下級のものとしては、桜、梅、アンズ、ナツメ、柳等が使用されていた。

歯形材としてはとしては、蝋石、象牙、牛骨、鹿骨、黒檀、黒柿等で、高価なものとしては天然歯が用いられた。

印象には蜜蝋が使用され、これを温湯で軟化させ、口腔内に押入、冷却し撤去後、分離剤として雲母の粉末を使用、この陰形に、再び難化した蜜蝋を圧接して陽形を作り、この上に紅を塗って着色部分をノミで削り、これを繰り返しながら 2 ~ 3 か月かかり完成したといわれる。